大工の三浦

2020年12月23日に療術所の名前を「大工の三浦 療術所」と決めるとができました。
22日に母にへその緒をもらったことや、
19日が父の20年目の命日だったことがきっかけだったのか。

昔は食卓がある部屋の角のエリアに電話があって、
父が材木屋さんや、道具屋さんに電話しているのを聞いていました。
そのとき「大工の三浦ですけど」といつもいっていて、
その声は、今でも思い出せる父の声です。
「大工」でしたけど、てやんでい!みたいな意気のよい人ではなく、物静かな人でした。
母がキーキー怒っているときも「死ぬわけじゃないし。」と特に関せず。
とても優しい声だったので、電話口の父は、
私の友人や近所のおばさんから人気がありました。
大川栄作の「さざんかの宿」が十八番でかなりうまかった。

特にパパっ子というわけではありませんでしたが、
やはり建築に進んだのは子供の頃から 刻み小屋や建前が終わった現場で遊んでいたので、
抵抗なくその世界に入れたことが大きかったと思います。
ごつごつした使い込まれた手がかっこよくて、よく眺めていました。

イトオテルミーの療術所の名前としてはへんてこなのですが、
私にとってはしっくりした名前となりました。大工ではないのですが、
「大工の三浦 療術所」をよろしくお願いいたします。